日本で電子マネーの普及が進んだ理由


昨日の続きです。
電子マネーの普及を考えると、1995年からイギリスのスウィンドン市で行われていたMondexという電子マネーの実証実験のことを思い出さずにいられません。Mondexはイギリスの銀行とベンチャー企業の協同事業でした。世界中から多くの見学者が訪れました。知人も見に行っていたことを懐かしく思い出します。
その時は、まさかここまで電子マネーが普及するとは思いませんでした。あくまで実験であって、まだまだ先の話だろうという認識でした。実際、Mondexはカードを端末に差し込んで使う「接触型」であり、端末使用の煩わしさが問題になっていた記憶があります。クレジットカードの暗証番号認証が毎回発生するようなイメージです。確かにこのやりとりは小売店側からすると面倒です。Mondexはその後MasterCardに買収されましたが、その後世界の表舞台に出てくることはなくなっている印象です。
電子マネーの普及において圧倒的な推進力となったのは、SuicaEdyに代表される「非接触型」カードの登場です。SuicaEdyともにソニーが開発したFeliCaという技術を使っています。EdyFeliCaによる電子マネー推進のためにソニー自ら設立した会社だったりもします。FeliCa自体は1980年代後半から開発が始まり、1994年には香港の公共交通機関に非接触型切符、オクトパスカードとして採用されました。オクトパスカードは切符としてだけではなく、キオスクや自動販売機、公衆電話などで少額決済するためのプリペイド機能を持っていました。これが非接触カードと電子マネーの最初の融合ではないでしょうか。電子マネーとしての機能はサブ的な印象でしたが、大変使いやすく一気に普及しました。
イギリスの地方都市のような人口密度が低く、保守的な街よりは、香港のような密度が高く、かつアジア独特の進取の精神にあふれた場所で、電子マネーの実用化が進んだのは象徴的です。これを見た日本の関係者が、確信とあせりを感じたのではないかという想像も膨らみます。
その結果もあってか、1999年にはEdyのモニターテストが始まり、2001年にはSuicaEdyがサービス開始します。しかし、オクトパスカードの印象が強すぎたのか、Suicaデビュー当時、JR東日本Suicaが通常の買い物に利用されるメジャーな電子マネーになるとは考えていなかったようです。非接触型カードは改札の混雑を緩和するための技術であり、電子マネー機能は、あくまでオクトパスカードのような鉄道世界の中でのサブ的な機能として見ていた印象があります。
FeliCaを拡販したいソニーの思惑もあってか、2004年にはFeliCaを搭載した携帯が出ました。しかし、JR東日本Suicaスタート当初、携帯電話に内蔵されたFeliCaを利用したサービスなど想像もできなかったのではないでしょうか。そのため、今でも多くのSuica券売機は非接触型カードを採用しながら、券売機の中にカードを挿入する必要があり、非接触型カードのメリットを活かしきれていません。
これが偶然なのか、あるいは意図されたものかわかりませんが、券売機などの端末で携帯内蔵のSuicaにチャージできないことから、通信を利用したチャージが普及しました。この時点で、日本の電子マネーはぶっちぎりの世界最先端レベルに到達した印象があります。世界最大級の都市圏における最大手の公共交通インフラにおいて採用されている背景による膨大なユーザが、前人未到の通信を使った電子マネートランザクションをすいすい行っている様子はある意味痛快でもあります。
さて、まとめるとこういうことでしょうか。鉄道輸送において注目された非接触ICカードという技術が少額決済という世界に出会い、しかもデバイスは携帯電話も作っている日本のメーカーによるものだったこともあって、日本製携帯電話に次々に採用、券売機チャージの使い勝手の悪さから一気に通信によるトランザクションが普及。
さて、これらな流れにはどれくらい意図された全体デザインがあったのでしょうか。確かに、1990年代のスウィンドンの実験ではいろいろな全体デザインがありました。しかし、15年ほど経った今、その全体デザインが実現しているかは疑問です。全体デザインというよりも、その場その場の個別課題に柔軟に対応した結果が現在の日本のイノベーティブな状況に貢献しているのではないかという印象を持ちます。電子マネーの先進的な普及をケーススタディとして考えた時に、日本ならではのイノベーションのあり方が見えてくるのかも知れません。